現在はボーカロイドとかがあります。
サイトのブログから分離させた煩悩その他垂れ流しブログ。
腐れてたり愛想がなかったり粗暴だったりするかもしれない。たぶん黒いです。
まぁ所詮ひとりごとなので気にせず勝手にやります。
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今日図書館に本を借りにいったら、まだ小学生としか思えない女の子が西尾維新の本を大量に借りていた。10冊くらい?
何となく世も末だなぁと思った。
……いや。
それはいいんだ。
私も人のことは言えない。
その当時何読んでたよ。思い出せないけど、たぶん変な本とか恥ずかしい本も読んでたはず。
でも問題は、それ以外にもいい本を読んでますよね……?ってことさ。
問題はそれなんだよなぁ、と思う。
何となく世も末だなぁと思った。
……いや。
それはいいんだ。
私も人のことは言えない。
その当時何読んでたよ。思い出せないけど、たぶん変な本とか恥ずかしい本も読んでたはず。
でも問題は、それ以外にもいい本を読んでますよね……?ってことさ。
問題はそれなんだよなぁ、と思う。
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この人の歌詞はいいよね、と思う。
なんだか癒される。
ここのリンはセーラー服にプリーツスカートが一番似合う。
いいねえ14歳。
なんだか癒される。
ここのリンはセーラー服にプリーツスカートが一番似合う。
いいねえ14歳。
スビルバーグの「A・I」という映画は好きではなかった。
主人公のロボットの少年に共感というか同情できなかったのが理由。
あくまでも「親」と設定された存在を愛す、と言うプログラムに従わざるをえなかった、従うことしか出来なかった、ということならば可哀想だとは思うのだけど。
ボカロの曲を聴いていてもそうだけど、機械やプログラムである彼らが機械であることの切なさを歌ってたりする曲が良くある。
プログラム削除されてしまうから、アナタと別れるのが悲しい、とか、そういうの。
でもなんだろう、私はそういうのに共感が出来ない。
その「悲しい」という気持ちは彼らそれ自体から出ているわけではなくて、そういうキャラクター設定を付加したい作者から出ている、と感じてしまうからだろうか。
彼らが機械やプログラムである必要性は感じない、というのかな。
削除されちゃったりバグッちゃったりする、抵抗の出来ない、そういう設定を持たされた人間のキャラクター、というのかな。
うまく言えないけど。
確か「アイ・ロボット」って映画もそうだったなぁ。アシモフを下敷きにしたやつ。(タイトル借りただけ?)
私はそういう物語が好きじゃない。
うーん。
機械が自我を持つとしたら、彼らの持つ自我というのはどんなものなのだろう、と考える。
現在多くの物語で書かれている自我を持った機械は、結局人間の模倣としてか描かれていないと感じる。
愛だとか、友情だとか、そういう感情って結局「誰かを愛することの出来る人間ってすばらしいね!」ということな気がするから。
もちろん愛や友情そのものはいいと思う。ただそれを“人間以外”のアイデンティティとして押し付けるのはどうだろう、と思うということ。
それは人間としてのエゴじゃないのかな、と。
たぶん機械が本当に機械としての自我を持つならば、それは人間の模倣ではないと思うから。
今私たちが考える愛や友情や親愛の情は、たぶん機械のアイデンティティじゃないと思うんだ。
もっと違った、私たちには理解できないかもしれない、全然違うものじゃないかと思うんだ。
そういう面で「戦闘妖精雪風」は気に入ってるんだけど、それは今回の本筋じゃなくて。
でも私も、物語の中の人形にそうした“人間としてのエゴ”=“愛・親愛の情”を押し付けてしまっているんじゃないかと思う。
彼らは別に人形であることがアイデンティティじゃなくて、比喩みたいなものだからいいんじゃない、とも言えるのだけど、それってやっぱり逃げかなあ、と思ったりもする。
でもそうしないと物語の動機が成立しないし、成り立たなくなってしまうのだけど……。
人形であること、はやっぱり重要だけど、すでに前提からして普通の人形としての存在じゃないしな。必要なのは人形のイデアっていうか、象徴性だとは思う。
「人形の家」みたいなさ……。
機械であることと人間であることの違いが重要なファクターってわけでもないし……。
機械が愛とか友情とか、そういうのを語ってる話すべてが嫌いなわけじゃないし、設定や雰囲気や展開次第なのかな、とも思うけど。
悩む。
うーん。
とりあえずこのまま進めますけどね。改稿推敲の段階でこの辺りをどうやって処理するかが問題だなぁ。。
ジレンマ、というのかな。パラドクス?
主人公のロボットの少年に共感というか同情できなかったのが理由。
あくまでも「親」と設定された存在を愛す、と言うプログラムに従わざるをえなかった、従うことしか出来なかった、ということならば可哀想だとは思うのだけど。
ボカロの曲を聴いていてもそうだけど、機械やプログラムである彼らが機械であることの切なさを歌ってたりする曲が良くある。
プログラム削除されてしまうから、アナタと別れるのが悲しい、とか、そういうの。
でもなんだろう、私はそういうのに共感が出来ない。
その「悲しい」という気持ちは彼らそれ自体から出ているわけではなくて、そういうキャラクター設定を付加したい作者から出ている、と感じてしまうからだろうか。
彼らが機械やプログラムである必要性は感じない、というのかな。
削除されちゃったりバグッちゃったりする、抵抗の出来ない、そういう設定を持たされた人間のキャラクター、というのかな。
うまく言えないけど。
確か「アイ・ロボット」って映画もそうだったなぁ。アシモフを下敷きにしたやつ。(タイトル借りただけ?)
私はそういう物語が好きじゃない。
うーん。
機械が自我を持つとしたら、彼らの持つ自我というのはどんなものなのだろう、と考える。
現在多くの物語で書かれている自我を持った機械は、結局人間の模倣としてか描かれていないと感じる。
愛だとか、友情だとか、そういう感情って結局「誰かを愛することの出来る人間ってすばらしいね!」ということな気がするから。
もちろん愛や友情そのものはいいと思う。ただそれを“人間以外”のアイデンティティとして押し付けるのはどうだろう、と思うということ。
それは人間としてのエゴじゃないのかな、と。
たぶん機械が本当に機械としての自我を持つならば、それは人間の模倣ではないと思うから。
今私たちが考える愛や友情や親愛の情は、たぶん機械のアイデンティティじゃないと思うんだ。
もっと違った、私たちには理解できないかもしれない、全然違うものじゃないかと思うんだ。
そういう面で「戦闘妖精雪風」は気に入ってるんだけど、それは今回の本筋じゃなくて。
でも私も、物語の中の人形にそうした“人間としてのエゴ”=“愛・親愛の情”を押し付けてしまっているんじゃないかと思う。
彼らは別に人形であることがアイデンティティじゃなくて、比喩みたいなものだからいいんじゃない、とも言えるのだけど、それってやっぱり逃げかなあ、と思ったりもする。
でもそうしないと物語の動機が成立しないし、成り立たなくなってしまうのだけど……。
人形であること、はやっぱり重要だけど、すでに前提からして普通の人形としての存在じゃないしな。必要なのは人形のイデアっていうか、象徴性だとは思う。
「人形の家」みたいなさ……。
機械であることと人間であることの違いが重要なファクターってわけでもないし……。
機械が愛とか友情とか、そういうのを語ってる話すべてが嫌いなわけじゃないし、設定や雰囲気や展開次第なのかな、とも思うけど。
悩む。
うーん。
とりあえずこのまま進めますけどね。改稿推敲の段階でこの辺りをどうやって処理するかが問題だなぁ。。
ジレンマ、というのかな。パラドクス?
前から思ってはいたけど、私は基本的にラノベの住人じゃないんだろうなぁ、と感じる。
かわいい女の子の絵とかね、表紙になってても全然食指が動かないってば。
だってそんなの掃いて捨てるほどあるじゃない。見分けつかないぜ。
絵を見ても「どんな話なんだろ?どんな物語世界なんだろ?どんな人たちが生きててどんな生活を送っててどんなストーリーになるんだろ?わくわく」なんてならないものね。
逆に、そう言うのが感じられるイラストの本なら読んでみたいけども。
作者の好みと私の絵の好みが全くかみ合ってないってこと、だろうな。
それも前から気づいていたけどね。
というか、世界観を広げてくれるイラスト以外は挿絵なんていらないと思うんだよなー。
正直、A+Dはイラストがない方が小説の雰囲気がよく出たと思っている。
文章の雰囲気に浸って読んでいてページをめくると、顔アップの漫画イラストの顔がドドーンと出てきて萎えたから。……好きな人には悪いけど。
A+Dは薔薇マリと違って現実準拠(地名や出てくる小道具や学校とか、意識してリアリティを持たせてると思う。そりゃ魔法とかあるけどさ)の小説だから、明らかに現実とは違う絵が描かれていると一気に「ラノベですよ☆萌え狙ってますよ☆」って意識に引き戻されるんだよな。
というかーうーん。
これもラノベが合わないな、と感じる一つの理由は、シリーズ物だってこと。
完結しないということ。
だらだらしたのが好きじゃないから。
物語は完結してはじめて「面白かった」とか「イマイチ」とか思える。
シリーズ物でも一冊完結ならばまだマシ。
一般の小説は一冊で完結が基本。だからすぐに自分の中でその話の評価をつけられる。
一つの作品として完結してるから。
でもラノベは続き物が基本で、「早く次が読みたい!」と思わせるほどの吸引力があるのはすごく稀。「はやく」ではなくても、「続き出たら読みたいな」というのも。
何となく読んでる作者のシリーズだから続き読まなくちゃ……って感じのはすごく嫌。
はっきり言ってしまうとA+Dは一部完結の三巻を読んで続きを読みたいとは思えなかった。ちょっとうんざりした。だから私の中でのA+Dの評価はいまのところかなり低い。
ラノベに見切りをつける時期なのかもなーとか、思うこともある。
でも基本的に剣と魔法とか不思議な出来事は好きだから。
中には好きだと思うラノベもあるし。
玉石混淆ってことなんだろうけど、玉を見つけるのが難しいんだよな。
少女向けレーベルから入ったけど最近全く読んでないし、そっちに目を向けてみるべきなんだろうか。
でも人気のある少女向けラノベってたぶん無理なので、こちらも発掘が難しい。
好きなシリーズ書いてた作家も、今は好きじゃないタイプのシリーズ書いてるしなー。
恋愛メインはどうでもいいです。そればっかりはうんざりです。
メインじゃなければ恋愛出てきてもいいけどさ。
かわいい女の子の絵とかね、表紙になってても全然食指が動かないってば。
だってそんなの掃いて捨てるほどあるじゃない。見分けつかないぜ。
絵を見ても「どんな話なんだろ?どんな物語世界なんだろ?どんな人たちが生きててどんな生活を送っててどんなストーリーになるんだろ?わくわく」なんてならないものね。
逆に、そう言うのが感じられるイラストの本なら読んでみたいけども。
作者の好みと私の絵の好みが全くかみ合ってないってこと、だろうな。
それも前から気づいていたけどね。
というか、世界観を広げてくれるイラスト以外は挿絵なんていらないと思うんだよなー。
正直、A+Dはイラストがない方が小説の雰囲気がよく出たと思っている。
文章の雰囲気に浸って読んでいてページをめくると、顔アップの漫画イラストの顔がドドーンと出てきて萎えたから。……好きな人には悪いけど。
A+Dは薔薇マリと違って現実準拠(地名や出てくる小道具や学校とか、意識してリアリティを持たせてると思う。そりゃ魔法とかあるけどさ)の小説だから、明らかに現実とは違う絵が描かれていると一気に「ラノベですよ☆萌え狙ってますよ☆」って意識に引き戻されるんだよな。
というかーうーん。
これもラノベが合わないな、と感じる一つの理由は、シリーズ物だってこと。
完結しないということ。
だらだらしたのが好きじゃないから。
物語は完結してはじめて「面白かった」とか「イマイチ」とか思える。
シリーズ物でも一冊完結ならばまだマシ。
一般の小説は一冊で完結が基本。だからすぐに自分の中でその話の評価をつけられる。
一つの作品として完結してるから。
でもラノベは続き物が基本で、「早く次が読みたい!」と思わせるほどの吸引力があるのはすごく稀。「はやく」ではなくても、「続き出たら読みたいな」というのも。
何となく読んでる作者のシリーズだから続き読まなくちゃ……って感じのはすごく嫌。
はっきり言ってしまうとA+Dは一部完結の三巻を読んで続きを読みたいとは思えなかった。ちょっとうんざりした。だから私の中でのA+Dの評価はいまのところかなり低い。
ラノベに見切りをつける時期なのかもなーとか、思うこともある。
でも基本的に剣と魔法とか不思議な出来事は好きだから。
中には好きだと思うラノベもあるし。
玉石混淆ってことなんだろうけど、玉を見つけるのが難しいんだよな。
少女向けレーベルから入ったけど最近全く読んでないし、そっちに目を向けてみるべきなんだろうか。
でも人気のある少女向けラノベってたぶん無理なので、こちらも発掘が難しい。
好きなシリーズ書いてた作家も、今は好きじゃないタイプのシリーズ書いてるしなー。
恋愛メインはどうでもいいです。そればっかりはうんざりです。
メインじゃなければ恋愛出てきてもいいけどさ。
ついこのシリーズを全部見てしまった……。
日本の学校給食は恵まれてるな。
給食費払えるのに滞納する親とか、本気で何考えてるんだろって思う。
というか、全体的に食べ物の好き嫌いする人って嫌いだからな、私。
菜食主義者とかも、考えるとイライラする。
ポリシーがあったとしても、食べ物をえり好みする人は嫌い。
えり好みできるだけ恵まれた環境にいるってことに気づいてるんだろうか。
畜産業の悲惨さを訴える前に、もっと他に出来ることがあるだろうって思う。
肉だって野菜だって、命を消費して生きてることに変わりはないんだから。
私は肉も食べるし野菜も食べる。それが人間の正しい姿だと思う。人間は雑食の生物。いくら食べ物に気を配ったとしても、たくさんの屍の上に私たちの生が成り立っていることに変わりはないんだから。
上の動画の後にこのシリーズ見るとほろりと来そうだ。
日本の学校給食は恵まれてるな。
給食費払えるのに滞納する親とか、本気で何考えてるんだろって思う。
というか、全体的に食べ物の好き嫌いする人って嫌いだからな、私。
菜食主義者とかも、考えるとイライラする。
ポリシーがあったとしても、食べ物をえり好みする人は嫌い。
えり好みできるだけ恵まれた環境にいるってことに気づいてるんだろうか。
畜産業の悲惨さを訴える前に、もっと他に出来ることがあるだろうって思う。
肉だって野菜だって、命を消費して生きてることに変わりはないんだから。
私は肉も食べるし野菜も食べる。それが人間の正しい姿だと思う。人間は雑食の生物。いくら食べ物に気を配ったとしても、たくさんの屍の上に私たちの生が成り立っていることに変わりはないんだから。
上の動画の後にこのシリーズ見るとほろりと来そうだ。